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UO144

今回はUOの対人について

1on1
まずは1on1、ダンジョンの一つダスタードの入口から南に向かって移動した場所にPITと呼ばれる柵で四角く囲まれたリングみたいな場所があって、そこでよくみんなで集まって1on1をやってた。
以前書いたTMSが主流だった頃もやってた場所はここ。
1on1は間違って殺人カウントを入れないようにまずお互いにグレーネームになるところから始まる。
次にフィールド魔法の石壁を二人の間に出してそれが消えたら開始の合図。
グレーネームになる方法は近くにいる人をアタックだけしたりもしくはペットをアタック、またはグレーネームの相手に明かりや回復の魔法をかけるとかだった。
のちにここは解体され、どこの町だったか忘れたけどそこの牧場に場所を移すことになる。
牧場は空き地になっていてスペースが結構あったので1on1用と3on3用の柵に囲まれたリングが作られた。
基本的にPITや後に移転した新しいPIT牧場は非戦地帯としてプレイヤー同士の中では暗黙の了解みたいになってたと思う。
まあ、仮にここを襲うとしても3度の飯より対人が好きみたいな連中が集まってるような場所なのでよほどの命知らずかにわかくらいしか襲いには来なかったと思う。
実際襲われた記憶はほとんどないかも。
ここでは普段しゃべる機会もない敵対ギルドの人たちとも遊んだりして仲良くなることが多かった。
1on1大会なんかも盛んでよく開催されていた。
あとUOは圏外なんかで戦うときは基本騎乗したままで戦うんだけどPITなんかで1on1や3on3をしたりするときは馬から降りて徒歩で戦った。


3on3
低DEXでの高速ハルバート振りが不可能になり、TMSが仕様上できなくなって新たに出てきたのが中DEX系。
例えばハルバードならMDS、槍ならMDFみたいに持ってる武器よって変わるんだけど、これらが1on1で使われるようになる。
ただ、高速でハルバートを振りながら魔法を使ってたTMS時代に比べてミドルデックス系は使える魔法も4サークルまで武器振りもMDEXだったからそんなに早くはないって感じでそこまで火力はなかった。
そこで流行りだしたのが3on3だった。
火力が足りなくても3人でならみたいな。
構成は2メイジ+MDSorMDFが多かったように思う。
3on3は自鯖でも大会を開くって話になり自分も選手兼解説として出る予定になってたんだけど理由は忘れたけど中止になったんだよね。
解説って言ってももしやってたら適当なことを言ってたと思う。
これも結構盛り上がって続くことになる。
ちなみに3on3だけという話ではなくこの頃も1on1も普通にやってた。
PITや牧場は対戦しに来る人や見学の人なんかも結構居てその場のノリで全員で参加してやることもよくあった。
例えばその場に10人くらい居たら5:5で分けて5on5とかそんな感じ。


フラグ関係などの対人
MPK
UOは殺人カウントがあってそれが5たまると赤ネームになるんだけどそれを回避するやり方。
主にダンジョンなんかにいるモンスターを利用する。
簡単に言えば狩りをしているプレイヤーの後ろにフィールド魔法の石壁なんかを出して退路を無くして倒すみたいなのがよくあるパターン。
基本的にこれをやる人は対人ガチ勢というよりはどちらかというと曲者系だったり悪党ロールプレイだったりする場合が多かった。
だいたい犠牲になるのは対人をあまり知らないやらない人たち。


FPK
FPKもだいたいは同じで赤ネームを回避するやり方。
1on1の時にやるみたいに相手をグレイネームにして倒すんだけど、例えば相手が召喚魔法やファイヤーフィールドなどの魔法を使ってたらそれに当たりに行くだけで相手はグレーネームなる。
他にもやり方はいろいろ。
グレイネームになった人は攻撃されて倒されても殺人報告ができないのでいくら倒しても赤ネームにはならない。
これもだいたい犠牲になるのは対人をあまり知らないやらない人たち。


CPK
これは自分がわざとグレーネームになって誰かに攻撃されるのをまってからカウンターで倒すやり方。
よく対人相手が居なくて暇になった時にグレーネームになってダンジョンなんかをうろうろしながら相手を待つのがこのケース。
これも殺人カウントは増えない。


PK
青だろうが問答無用で倒す人たち。
カウントが5たまると赤ネームになり晴れてPKの仲間入りとなる。
ただカウントには短期と長期の二つがありたしか短期は8時間で長期は40時間でカウントが1減る仕様になってて短期が0で長期が残ってた場合はロスなし赤になれたので赤ネームにならない適度にPKする人もいた。
UOはロスなし赤の時代とロスあり赤の時代があって、ロスなし時代は死んでもスキルロスはなし。
ロスあり時代は死んだらスキルが100から70代くらいまで落ちて復帰は結構大変だった。
自分も何度か復帰のスキル上げしたことあるけど本当に面倒だった・・・
そのせいで基本PKは死なないようにするのが大事になる。
死なないようにしてたら新鯖2個分、2、3年死んでなかったこともあった。
最後は今でも覚えてるけどムーングローという街の郊外で青ネームを追っかけててうっかり圏内まで追ってしまってガード死してしまうっていうPK初心者みたいな死に方で最長記録もあっさり止まったっていう。
賞金首制度なんかもあってPKされた人が「誰かあの人を倒して!」1000G「頼むあいつを倒してくれ!」10000Gみたいに賞金をかけることができた。
PKが終わった後に銀行の賞金首ボードを見るのが結構楽しみだったりして1位になったりなんかはかなりうれしいことだったりした。
賞金首はPKが死んだときに死体を解体してその首を銀行のNPCに渡すと賞金がもらえて死んだPKの賞金額はリセットされる。
ただ死体も解体できなくなりその影響か賞金首ボードもいつのころからか無くなったように思う。


PKK
PKを倒しに来る人たち。
有名なのはAWCっていうPKKギルドで自分と同じ頃にUOやってた人なら多分誰でも知ってると思う。
全日本鯖にAWCはあってそこのGMがMASA Fって人だったんだけど。
どの鯖にPKが出ても真っ先に駆けつけて先頭を走りそして秒で転がる(UOは基本騎乗状態で戦ってるので倒されると落馬する)というので有名な人だった。
そのあまりにも現場に駆け付けるはやさから一体いつ寝てるんだとか、複数いる説、代替わりした説なんかがいろいろあったけど実際のところはAWCの人しか知らない。
実際のところどうだったんですか?
自分は単騎でやってる事が多かったからAWCに会うことはすくなかったけど、一度ギルドで出てた時にこれからAWCが来るらしいから待ってようって話になり待ってたことがある。
しばらくしてやってきたAWC軍団、先頭を走ってるのはそうあの人!MASA Fだ!
そして秒で転がるMASA Fさん、やはり噂通りだった!とこの時自分は確信したのだった。


ここからはギルドや戦争など
カオスオーダー
UO初期にあったシステムで自分からカオスかオーダーの宣言をして戦う。
自分の時だとよくこれから対人始めますみたいなギルドの人がやってたと思う。
初期の頃からあったがいつのまにか無くなった制度。


WAR
複数のギルド同士が宣戦し合ってダンジョンの一つデシートで戦った、通称デシートWAR。
自鯖だけど最盛期の頃は各ギルド10人前後から多いところで30人近くの人数のギルドなど15ギルドくらいがお互いに宣戦を飛ばし合って一つのダンジョンに集まって戦っていた。
最初の頃はどちらかというとギルド同士のいざこざやけんか腰で宣戦を飛ばし合う事が多かったんだけど、最盛期の頃には「いついつに参加するので宣戦受理よろしくお願いします。」みたいにHPで告知して参戦する形が多かった。
自分のところの鯖だと専用のIRCのチャンネルもあって各ギルドのGMなんかはそこに入っていた。
ただギルドによってはそんなのはいらねえみたいなギルドもあった、だいたい強いとこ。
これは本当に長くやってたしここで参加解散したギルドは数知れず、自分も最強って言われてるギルドから初心者ギルドまでいろんなギルドに入って戦った。
永遠に続くかと思われたデシートWARだったけど最後は仕様変更でダンジョンが使えなくなって終焉を迎える。
たぶん開発はプレイヤーがこういうのやってたって知らなかったと思う。
これがUO対人での一番のメインだった。
自分も長く続けてた理由はほとんどこれ。


圏内WAR
デシートWARが終焉を迎えて場所は圏内の町に移行する。
このころはルール作りなんかがされてスポーツっぽくなっていく。
というのも仕様がなんでもありの対人を難しくしていた。
自分も長くはないけどそれなりに参加はしていた。
ここで活躍してたのが武士忍者メイジだった、TMS以来の久しぶりの武器持ちメイジの復活だった?かもしれない。
この頃WARギルドで主流になってたのが武士スキルのナーブを使った戦術で指針がナーブを決めてスタンさせ残りのメンバーがそれを集中攻撃する形だった。
スタン自体は即抜けることが可能だったので抜けて逃げられる事もあった。
上手くスタンを決めてゲットするかそれとも抜けられて逃がすかみたいな。
強いギルドなんかは、まあ、一瞬で決めてきて抜ける間もなく即死みたいな感じだった。
これが決まると気もちいいんだよね。
UOではこれをシングルキルでSKってよく言ってたと思う。
ちなみに日本語でSyuucyuuKougekiでSKだったという説あり、自分はこっちだと思う。
意味は他で使われてるような用語とほぼ同じただUOの場合一瞬で合わせて決めないと逃げられてしまうのでタゲ合わせの速度が重要だった。
ただし上手い人相手に限る話。
普通くらい人だと多少タゲがずれたり遅れたりしてもゲットできることはまあまああった。
お互いが複数でみんなタゲられないような動きをしてる中で誰をタゲるか全員がちゃんと合わせないとうまくいかなかったのでその辺はギルドの上手さ強さだったと思う。
まあ、スタンみたいなCCが入った敵を狙って合わせ攻撃するのはどちらかというと簡単な部類のSKなんだけど。
初期UOはCCなんてほとんど無かったっていう。
UOのタゲはタゲカーソルを相手まで移動させてクリックしないといけなかったのでうまくクリックできない事なんかもあった。
よくタゲカーソルが吸い込まれるって言ってたんだけど、これがタゲってるのに吸い込まれなくてタゲれてないってこともよくあった。
タゲれてない=攻撃できてないなのでうまく敵をタゲる事が大事だった。
武士スキルはスタン用のナーブと移動回復スキルがあったのでこの頃はよく採用されていた。
忍術スキルも毒矢の回復阻害とDSが強力だったので同じように採用されていた。
この頃は↑の武士や忍者のスキルと魔法みたいな感じの戦い方だったと思う。
移動は最初はチャットツールのIRCが使われていたんだけど、この頃になると指針を常に画面内に入れながら移動もタゲも合わせるのが一番最速ってことでそうなってた。
もうほとんど画面内だけで全員が意思疎通する感じ。
今だとボイチャとか使うんだろうけど昔はなかったのでこういう方法だった。
あとUOは2Dだったので敵味方の全体の位置が見やすかったし画面みながら移動やタゲを指針に合わせるのはある程度慣れた人ならみんなできたというよりできないとだめだった。
3Dは全体を見渡すにはちょっと特に後ろとか見れないのである程度移動の指示とかタゲ合わせの指示なんかは必要な気がする、ボイチャ便利。
指針役の人は基本交代でやってたけどだいたい2,3人くらいが固定になりがちだった。
ちなみに指針が落とされた場合は2番目の指針の人も決まってて今度はその人に合わせるって感じだった。
その人も落とされたら、まあ、そこで撤退みたいな。
WARギルドは同じメンバーで毎日やってて一瞬でタゲを合わせる技術があったので多少仕様から離れたところで戦っていてもよく警戒された。


圏外
仕様変更にともないPSをめぐる争いが起こる。
この時PKはスキルロスなし仕様になりキャラの殺人カウントもすべてリセットされて0になり青に戻ることになる。
自分はそこでもう一度PKする気にもなれず、結局そのままPKの方は終わりにしたんだったかと思う。
ちょっとはしたんだったかな?あまり覚えてないけどこの辺でPKの方は止めてしまってる。
ちなみにこの頃には詠唱可の武器なんかが出るようになっててメイジもふたたび武器を持てるようになる。
ただここで猛威を振るってたのは武器持ちメイジではなく弓だった。
弓は最初は止まって撃つしかないゴミ武器だったんだけど、ムービンクショットのスキルが導入されて移動しながら撃てるようになる。
そのせいで同じ速度で走ってると一生弓に撃たれ続けるはめに、メイジは詠唱してる間はどうしても数秒止まってしまうから追いつかれることに。
そんなわけで圏内WARでは弓は禁止になる。
圏外での弓対策、UOは武器が必中ではなかったのでメイジやるなら盾持ちにして回避を上げたり武士を入れて移動回復ができるようにしたりすることが大事だった。
あとは忍者入れたステハイメイジ自分はこれやってたけど魔法+忍術のDSで火力が出せたのと回避面では狙われて死にかけた時に煙玉で消えられるのが強かった。
仮に煙玉で消えて一回暴かれてもさらにインビジアイテムを使って消えるさらに敵が近くいたらテレポリングで消えながら移動すれば死ぬことはほぼなかった。
自分はさらにインビジアイテム2個持ちでテレポリングもあったから死ぬということはまずなかった。
ただインビジアイテムもテレポリングもパッチレア化した物でもう取れないアイテムだったんだよね。
だから古い人しか持ってなかったし使えなかった。
まあ、どちらのアイテムも週に一回使うかどうかレベルで使うことってほとんど無かったんだけど。
よっぽどやばいときだけ使ってた。
トラメルからPSに参加するためにフェルッカに来てた人は対人というより狩りキャラで来てる人も多く弓にバシバシ撃たれるだけでやられる人も多かった。
ちなみに最近散歩に使ってるキャラはステハイ魔法忍術テイマーだったりする。
これは自分のキャラじゃなくてそれをちょっといじった完全に遊び用のだけど昔は魔法+忍術DS+ペットって感じで結構強かった、今は知らない。


派閥
話が前後するけど派閥はPSがでる前の中期くらいにできた制度で当時UOがフェルッカとトラメルに別れた時にフェルッカ側の人口が減ってしばらくした後にできたんだったかと思う。
フェルッカの対人人口も減ってたんだけどトラメル側から対人したい人が大勢来て持ち直すきっかけになる。
当時デシートでWARしてたギルドも各派閥に入ることになる。
派閥は4つあってどのWARギルドがどこに入るかで強さが決まってた。
派閥にはスコアと防衛があってスコアは一人止めをさすごとに1ポイントもらえた。
スコアが上がってくると例えば20ポイント未満までなら1ポイントしか減らないんだけど、これが20ポイントとか50ポイント100ポイントとかになってくると死んだ時に2ポイント5ポイント10ポイントと大きく減るようになる。
スコアが上がってくると死なないことが大事になる。
逆にスコアが高い人を倒すと一気に10ポイント増えたりもした。
そういうことはめったにないけど。
自分も自派閥トップの高スコア持ちだったので死なないように気をつけてました!
防衛、8つの町にシギルがあってそれを本拠に持ち帰って24時間防衛すればその町が自分の派閥の物になった。
よく週末に防衛しますなんてことがあってみんなで交代しながら防衛なんかしたりしてた。
自分はメインタイムだけ参加していることが多かったけど、敵が来ないときは暇だったからみんなで雑談とかしてたと思う。
防衛は主にバリケードとフィールド魔法で行われた。
バリケードは家具や箱なんかに持てないように重りを入れて出入口を封鎖するんだけど地面に置いたものは一定時間で腐ってしまうのでリフレッシュする必要があった。
そういうのは24時間でっぱなしの防衛職人みたいな人がまめに置きなおしをやってたと思う。
今考えるとあれほんとよくやってたなあって感じ。
その苦労もあって防衛成功の喜びも結構あったと思う、特に8つの町のシギルすべての防衛成功して手に入れた時なんかはかなりうれしかった気がする。
しばらくすると自分もそうだったけどWARが終わった頃に派閥に参加するみたいな形で派閥とWARを掛け持ちをする人が多くなる。
この派閥の方も今はもうないんだっけ?
まあ、あっても人がおらんがなっていう感じかもしれない。


大戦
これもデシートWARがまだある頃の話でそれもかなり前の話だけど、自鯖だとたしか一度だけ大イベントとしてそのサーバーの各WARギルドがすべて参加するような大戦があった。
普段デシートで戦ってるギルドが二つに分かれて戦う大戦だったんだけど。
これを主催した人だったかが自鯖のデシートWARで元最強みたいなギルド率いてたギルマスだったんだけど。
その人のチーム分けが面白くてこっちは現上位1,2,3位がいるようなチームわけでこれこっちが絶対勝つって感じだった。
いくら元最強ギルドでも向こうで参加してるのはそのギルマスだけで引き連れてるギルドはどちらかというとデシートでは負けてたギルド、自分たちに負ける要素はないはずだった。
が、なんと結果はこちらの負け。
正直、未だにどうやって勝ったの?なんでうちら負けてるの?ってくらい意味がわからなかったしIRCでもそんな感じだったんだけど・・・
実際負けたんでさすが元最強ギルドのギルマス。
ちなみにこの大戦では普段やってるWARとは違って、いろんなルールの対戦形式があったんだけど一番人気があったのは大将戦。
ラストもこれだった。
大将戦は両方のチームで大将を決めてその人が討ち取られれば負けっていうルールだった。
大将がどこまでも逃げまくると勝負がつかないので大将だけは動ける範囲が決まっていた。
ラストの試合はもう負け確定で消化試合みたいなものだったんだけど椅子にぽつんと座って、この大戦をブログに書いてた人に今の心境は?などとインタビューを受けている大将を横目に最後の出陣をしたのでした。いざまいる~


番外編
模擬戦
これは例えばギルド内とか知り合いとか呼んででちょっと模擬するとか。
交流のあるギルドと模擬戦しましょうみたいな感じでやることが多かった。
まあ、秘密特訓というか練習みたいなもの。
人数が多い時には互いに20人以上集まってやることもあった。
特に派閥なんかは4派閥だったから派閥で模擬なんかやるときはいろんなギルドの人が集まってきてかなりの人数でやってたと思う。
模擬戦をやるときはまずお互いは二手に分かれて多い場合は3チームくらいに分かれてやったりもした。
UOの場合、例えばAのギルドは青だったりBのギルドは紫だったりとユニフォームじゃないけどギルドによって服の色が決まってた。
これはまず服の色を染めて統一してないと敵味方がわかりにくかったのと、いつのまにかそういうのが定着してたからだと思う。
最初にWARギルドや対人ギルドを作るときにギルマスが悩むのがギルド名とこの服の色だった。
ギルメンなんかに相談してどの色にしようなんて決めてたこともあった。
模擬の場合だとギルメン全員が同じ色の服だったりしたのでとりあえずローブを染めて例えば黒ローブと白ローブで分けて模擬するとかそんな感じだった。
模擬戦は基本的に人の来ない場所でやってたけど敵対ギルドや派閥に見つかって襲われたりする事もあったし模擬に混ざってくるギルドもあった。
模擬ばっかりやっててあんまり出てこないギルドなんかはちゃんと出て来いよと言われたりもした。


全体を見てなんだけどこれだけいろいろあるのは、やっぱりUOの基本の部分での自由度の高さみたいなものがあったような気がする。
プレイヤーまかせにしてるところが多かったUOだからこうなったみたいな。
今こういうのが上手くいくかどうかは知らないし全くわからない。
というわけでこれ全部読む人いるのって感じだけどUOの対人紹介(ほぼぜんぶ)はこれでおしまい。

by Ryuuhou4 | 2021-10-14 20:20 | UO | Comments(2)

Commented at 2021-11-22 23:56 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by Ryuuhou4 at 2021-12-03 22:09
お、すいません、返事今頃になって。
自分のブログなのにほとんど見てないっていう。
自分の知り合いにも道楽課金してる人がいますw
UOやってた人に見てもらえてうれしいです!
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